
親不知(おやしらず)って俺は富山県に所属しているのかと勝手に思い込んでいた。
俺の実家である金沢から東京方面に戻る際の高速道路でつきだした道路がまるで海に中に突っ込んでいくかのように見えてしまうカーブ。
ハニ―はこの場所にいつも恐怖を感じるようで、
この地区の運転は俺が担当する順番になるよう、いつも調整している。

いつも、もうすぐ金沢っていう意識があるから富山県だと思い込んでいたのだが 新潟県糸魚川市だったのね。
さて今回は金沢に向かう途中。
思った程ハイウェイも混雑しておらず、この周辺を15時頃に通貨することになったんだ。
”ちょっと下りてみようよ”
家族の他のメンバーはあまり乗り気ではなかったけど、
俺が運転していたこともあり、半ば強引に親不知インターで車を一般道へと移動したんだ。
案内に沿って入場した道の駅 親不知ピアパーク
海上に位置する珍しい親不知ICからすぐそばで、粟津潔のアートディレクションにより創られた道の駅なの。
俺にとっては何年もも上を走っているけど下から見るのはファースト。
レストランや博物館がある前には海水浴場として利用されている海岸線が広がる。
首都圏の海水浴場とは違って一人当たりが占有出来る面積は、それは広大なもので・・・
ちょっと海水浴しようよ!と俺は提案したんだけど、即効却下されてしまった。



俺以外の家族メンバーは海での遊泳があまり好きではないようだ。
確かに足についた砂を落としたり、着替えたり面倒ではあるんだけどね。
崖が連なった絶景を有するこの親不知。
そもそも、なんで親を知らないの?
語源にはいくつか説あるらしいけど下記のものが有力らしい。
壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かった。しかし、難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。その時、次の歌を詠んだ。
親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになった
ウィキペディアより引用
いつも高速道路から視界に入る2つの岩、
投げ石と鬼蹴り石もより近くで観察することが出来るよ。
この地では大国主命と赤鬼が岩を投げて力比べしたという伝説があるそう。
ミコトが投げた岩は投げ石と呼ばれ、勝負に負けて怒った鬼が蹴飛ばしたとされる鬼蹴り岩には今でも鬼の足跡が残っているんだろうな・・・
本当かよ?



入場無料の翡翠ふるさと館を観賞。
世界最大のヒスイ輝石岩は大迫力!
天然記念物に指定されている展示ヒスイは重量102トン。橋立ヒスイ峡から特殊車両で海岸まで運搬し、日本海を船で運び、この場所に設置したそうな。



無料でこんなすごい展示が見れるなって俺は感動です。
俺の家族は2分でこのふるさと館を退出しちゃったけどね・・・



ピアパーク内に展示されているブロンズ製のオブジェ、海亀像ミリオン・・・は
全長6メートル、重量5トンの世界一のブロンズ製海亀像。
多くの観光客がこの前で記念撮影をしていたよ。
うちも娘の写真だけパシャ。
それにしてもこの巨大のブロンズ像。
亀の左目には鳥、右目には人間の赤ちゃんがいる。
一体どういう意味があるんだろう?



さてガイドブックを見て車ですぐ近くの 親不知記念広場に移動。
そんなに広くはないスペースだけれど展望台が設置されており、親不知ではこの展望が一番だといわれているんだって。


確かに眼下に広がる海はどこまでも続いていて岩壁とのコントラストは自然の美しさにうっとりするには十分な光景だったよ。
2日後、金沢から東京に向かう際にこの上のハイウェイを通ったわけだけど、
今までよりも感慨深く通過したことは言うまでもないよね。
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